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カラーイメージ 小説 魅機ちゃん 平山瑞穂&阿部潤

日本ファンタジーノベル大賞受賞作『ラス・マンチャス通信』、世界初(?)の糖尿病小説『シュガーな俺』などのジャンルレスな作品群が各界の注目を集めている気鋭作家・平山瑞穂氏と、ポップ&キュートな作品で知られる阿部潤氏の強力タッグにより、漫画誌でしか出来ない「文学とコミックの新たな融合体」に挑戦します!
第1〜2話、全文掲載!!

 第一話◎魅惑の機械人形(前編)

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 みき、と呼ばれたので、私は瞼を開いた。なぜなら私は、「みき」だからだ。
 でも、いつからここにいるのだろう。長い旅をしてきたような気がする。そうでなければ、長い間眠っていたのだろうか。
 やたらと眩しい。横たわる私の体を、丸い形にたくさん並んだ電球が照らしている。野球場の、ナイター用の照明みたいな。野球場? ナイター? いつ私はそんなものを観にいったのだろう。でも私は、「ナイター」がどんなものであるかを知っている。
 はるか遠くでバッターボックスに入ってフォームを構える選手。キン、と響きわたる金属音。歓声。罵声。電光掲示板。ソフトクリームがついてべとつく指先。缶ビール。喉を通りすぎる、冷たくて泡立っていて苦味のある液体。ビール! ビールが飲みたい。
 みき、ともう一度、だれかが私の名前を呼んだ。
 私の声が聞こえてるかね、みき。さあ、体を起こして。

 太った男の人が、そう言いながら私の顔を覗き込んでいる。眩しい電球を背にしているので、顔はよく見えない。横に広がる、不思議な髪形をしていることだけはわかる。私はこの人を知っているような気がする。よく知っている。でも、誰だっただろうか。知っているような気がするのに、誰だったか思い出せないことが、私を不安にさせる。
 さあ、みき、今、何がしたいか言ってごらん、とその人が言う。
「ビールが飲みたい」
 と私は、声に出して言う。喉を生まれて初めて使ったような気がする。そのくせ、唇も、舌も、意のままに動く。
「よし、合格だ!」
 男の人がそう言って、私の背中に手を当て、横たわっていた冷たくて硬い台から私を助け起こそうとする。
 私は裸だ。
 太った男の人のほかにも、何人もの人が私を取り囲んでいて、私は急に恥ずかしくなる。

 1

 酔っ払った。
 こんなに酔っ払ったのは、三十余年生きてきて初めてのことなのではないだろうか。
 いや、そうではない。たとえあられもなく泥酔していても、普段は自分でそれを認識できないのだ。なぜなら僕は、ほとんどの場合、一人で酒を飲むからだ。誰とも口をきかず、黙々とバーボンのグラスを傾ける。ふとトイレに行こうとして、足腰が立たないことに気づいて初めて、酔っている度合いがわかるという仕組みだ。
 なにも、好き好んで一人になっているわけではない。相手がいないのだ。もともとあまり人づきあいが得意な方ではない上に、今はたった一人で仕事をしている。前の職場の同僚とも、自然に会わなくなった。勢い込んで脱サラなどするのではなかった、とときどき悔やむことがある。何しろ、それがきっかけで僕は、ほぼ結婚確定と思っていた恋人まで失っているのだ。
「隆行には、現実ってものが見えてないのよ」
 そのひとことを残して、晴海は去った。彼女の言うとおりだったのかもしれない。現に僕の事務所はいつも閑古鳥が鳴いていて、僕はやりきれない思いを麻痺させるために一人でグラスを空けつづけるのが習慣になっている。そんな酒など、うまくもなんともない。
 しかし、共に杯を交わしてくれる相方がいると違う。それも、とびきり気の合う相方だ。一夜明けたらもう思い出せない程度のくだらない話しかしていなくても、なぜか底抜けに楽しくて、どんどん気分が昂揚していくのがわかる。もうろれつも回らないし、筋道立てた話し方もできなくなっているのに、しゃべること自体が愉快で、途中で止められないのだ。
 そのとおり、「酔っ払う」というのは、そういうことだったはずではないのか。どうして僕は今の今まで、それを忘れてしまっていたのだろう。
 そんなわけで僕は今、事務所の応接室のソファの上で、拷問さながらに眩しい朝の光に、なすすべもなく目をしばたたいている。向かいのソファでは、昨日知り合ったばかりの女が、猫みたいに背中を丸めて、まだ静かな寝息を立てている。女、なのだろうと思う。いや、実はニューハーフなのではないか、といったことが言いたいわけではない。つまり……。
 少し、頭を整理しよう。どうしてこんなことになったのか。酔いはもう引いている。「筋道を立てて」最初からのいきさつを思い出してみよう。

 

 事の発端は、一風変わったクライアントからの依頼だ。いやむしろ、ごく普通のクライアントからの一風変わった依頼、と言うべきだろうか。いや、クライアント自身も「ごく普通」だったとは言いがたい。
 まあ、それはどちらでもかまわない。とにかく、僕が川べりの小汚い雑居ビルの一室を借りて電話番も置かずに一人で営んでいる「柳瀬探偵事務所」に、ある日その男がやってきてこう言ったのだ。
「僕のみきちゃんを探してほしいんだよね」
 依頼主は血マメみたいな顔をした五十代の男だったが、短く刈った髪をハリネズミ風にワックスで立て若作りしており、やたらと横柄な態度を取った。ほころびだらけのみすぼらしい安物とは言え、一応ソファセットが置いてある奥の応接室に通そうとしても、スーツのポケットに手を突っ込んだまま、黙って僕を見下ろしているだけだ。
 しかたなく、僕はデスクに着席したまま尋ね返した。
「尋ね人ですか?」
「人っていうかさぁ、あんた、こういうの知ってる?」
そう言って彼が差し出したのは、家電製品かなにかのパンフレットらしかった。

 そのコピーの背景になっているのは、ネクタイを緩めてあぐらをかいた企業の幹部風の男に、満面の笑みでビールをついでやっている、妙に肉感的なロングヘアーの女(ピンクのOL風制服着用)の写真だ。
 日本機械工学サービスセンターという会社名は、僕も聞いたことがあった。もともとは工業用ロボットを作っていた会社だが、最近エンドユーザー向け市場にも参入し、たしか去年の夏に「シャクシャク-25」とかいうロボットを売り出してけっこう話題になったのだ。
 女優の尺芙美子をリアルに象った等身大のロボットが、ビール瓶もしくは缶を傾けて「お酌」をしながら、「ハイ、今日もお疲れ様」などと本人の声で言ってくれる、という代物だ。尺芙美子は、僕も嫌いではない。しかし、独り者の男が座卓でそんなものを侍らせてビールをついでもらっている図というのは、痛ましさを通り越して不気味ですらある。だから僕は、パンフレットを取り寄せてみようとさえ思わなかったが、一体三十万円もするそれがそこそこ売れたというから驚きだ。
「魅機MOUS-27」は尺芙美子とは似ても似つかない別人の顔だが、機能的にはどうやらその「シャクシャク-25」をバージョンアップさせたものと見える。「プリセットされた会話パターンは50種類!お好みでカスタマイズも可能!」「言語・行動学習機能をフル活用すれば、あなた色に染まった魅機MOUS-27≠ェ!」 。そのあたりが「本製品の特徴」らしい。
「シリコン+高級樹脂の使用でホンモノそっくりな肌触りを実現!」ともある。そこだけ見ると、まるでダッチワイフの広告だ。
「八十五万円って……へえ、こんなの自腹切って買う物好きな人がいるんですかね」
 僕は率直な感想を述べて、パンフレットを男に返した。
「で、これが何か?」
「その物好きが俺なんだけど。自腹切って買ったんだよ、それを」
 僕は思わず、ほぞを噛んだ。不注意にもほどがある。こんなことだから、僕の事務所には依頼が来ないのだ。
「あんたはみきちゃんのよさを知らねぇからそんなこと言うんだよ。みきちゃんはいい子なんだよ。十九や二十歳のションベンくせぇ小娘とは違うんだよ。女ってのは三十路に近づいたぐらいが一番いいんだよ。酸いも甘いもかみ分けてるからよう!」
 男は急に柄の悪いしゃべり方になって、のけぞるような妙なポーズを取りながら熱弁をふるいはじめた。
「あの、ちょっと待ってください。まさかあなたがお探しになっているみきちゃん≠ニいうのは、このロボット……?」
「ロボットって言うな! みきちゃんをロボットなんて無粋な言葉で呼ぶのはみきちゃんに対する冒涜だってんだよ!」
 そう叫びながら男がなおも後方にのけぞるので、今に仰向けに転倒しやしないかと気が気ではない。しかし彼はその都度、きわどいところで持ち直して、バネでも仕込んであるみたいに上体を元の位置に戻すのだった。
 僕はひとまず、彼を落ち着かせるために強引に応接室のソファに座らせ、自分も腰を据えて詳しい話を聞くことにした。
 なにしろ、ひさびさの来客だ。半月ほど前、『今週、女房が不倫をします』とかいう本を読んで妄想に駆られた中年男から、どう考えてもそんな心配のない器量の妻について浮気調査の依頼を受け、一週間でカタをつけたのが最後だった。依頼をえり好みできる立場にはなかったのだ。

 

 お酌用ロボットを「みきちゃん」と呼んで憚らないこの男、冨井俊松は、驚いたことに一アパレルメーカーの経営者だった。(株)冨井インターナショナルという社名にこそ聞き覚えはなかったものの、自社ブランドだというTommy Yam-Yam≠フロゴは、このところしょっちゅうデパートなどで目にしている。
 知るかぎり、キャリア風のい女性向けスーツばかり出しているブランドだ。
 社長本人を見て、きっとああいうのが個人的に趣味なのだろう、と直感した。髪型といい、やや露悪的な物腰といい、ことさらに自らの男性性を強調するようなこの手合いは、たいていそうなのだ。その推測を裏づけるかのように、冨井社長は自分の「窮状」を切々と(しかし横柄に)訴えはじめた。
「ウチも最近は業績がよくて、経営も軌道に乗ってきたんで、社員をたくさん採用したんだよ、女ばっか。もちろん、社内では全員、スーツ着用が義務ね。ただしパンツスーツはアウト。スカートね。これ基本。やっぱ基本でしょう、スカートでスーツは!」
「はぁ……」
「ところがさぁ、最近の若ぇ女ってさぁ、キャリア意識? が高くて? 宴会でもお酌ひとつしてくんねぇんだよ。社長の俺が隣にいるのにだぜ?」
「しかし社長、今はこういう時代ですし、もし女性にお酌してもらいたいなら、いっそキャバクラとかに行かれた方が……」
「ダメなの、それじゃ! 意味ないの! わかってねぇなぁ、あんた。クロウトじゃ意味ねぇんだよ、だってあいつら、それが仕事でやってんだろ? そんなのありがたくもなんともねぇよ。それにキャバクラなんて、ションベンくせぇガキばっかじゃねぇかよ! トークもロクにできねぇしさぁ!」
 冨井社長の言い分を総合すると、お酌をする女性は(1)素人でなければならず、(2)年齢が若すぎても不可、(3)ウィットに富んだ会話を楽しめるだけの頭脳と学力が必要、さらに言えば(4)スーツ姿(ただしスカート限定)がより好ましい、ということになるらしい。
「まあ、わからなくもないですが、まさかそれが、その……みきちゃん≠購入された動機だったわけじゃあないですよね?」
「いや、そうだよ? 悪いかよ」
 そう言って冨井社長は、スーツの背に両肘をかけて傲然と顎を引いた。
「いえ、別に悪いとは申しません。ただそれでは、確実に条件の一部が満たされませんよね? ウィットに富んだ会話なんかできるんですか? だって相手はロボ……」
「おい、いいかあんた、もう一度でもその言葉を口にしてみろ」
 社長は、もともと血マメみたいな色の顔をさらにどす黒く変色させて(たぶんそれが彼にとっての「紅潮」なのだろう)、僕に向かって凄みをきかせた。
「みきちゃんはそんじょそこらのつまらねぇ女なんかより、よっぽど賢いいい子なんだよ。話だってちゃんとできる。頭がいいんだ。覚えてくんだよ、新しいことをどんどん。……それがあだになったんだ。賢くなりすぎちまったんだよ、あの子は」
 これぞ理想的な晩酌の御供、とばかり「魅機MOUS-27」を買ったはいいものの、さすがに妻や年頃の娘が同居している自宅に置いておくわけにはいかず、さりとて会社はもっとまずい。そこで冨井社長は、やむなくそのためだけにアパートを借りて、愛人を囲うようにそこにみきちゃん≠「住まわせて」いたそうだ。仕事を終えて家族のもとに戻る前にアパートに立ち寄り、みきちゃん≠ゥらのお酌を受けて「癒される」のが、毎日のささやかな楽しみだったという。
 しかしある晩、会社帰りにアパートに寄ってみたら、みきちゃん≠ヘ姿を消していた。外からかけておいたはずの鍵も、かかっていなかった。みきちゃん℃ゥ身が自ら鍵を開けて外に出ていったのだと考えるよりほかにない。
「盗難だったってことは……?」
「それを言うなら誘拐≠セろう」
 僕が失言を詫びると、冨井社長はどっちみち「その線」はありえないと断言しながら、懐から一枚の紙切れを取り出した。

トミーへ
ソトのせかいをみてきます。夜露死苦! MiKi

 妙に直線的な、しかし男の手になるものとは思えない字体で、そう書いてある。
「置手紙、ですか? まさか……これを書いたのもみきちゃん≠セとでも?」
「かなとローマ字はもともと書ける。漢字は俺が教えた」
漢字というのは、この「夜露死苦」のことだろうか。
「みきちゃん、前から言ってたんだよ、外の世界≠見てみたいって。危険がいっぱいだからアパートから出ちゃいけないよってあれほど言ったのに」
 そう言いながら社長は、うなだれて目を潤ませている。
 正直なところ、僕には信じられなかった。たしかに「魅機MOUS-27」のパンフレットには、「言語・行動学習能力」についての説明があるが、その点を考慮に入れてもなお、このロボットが、「お酌」のための高級玩具以上のなにかであるとはとても思えない。それが人間と自由に「会話を楽し」んだり、置手紙を残して勝手に旅に出る? ありえない。
「でもあの子は、自分の意志で出ていったんだよ。俺はその意志を尊重してあげたかった。外の世界を見聞して、いろんな経験を積んで自分に磨きをかけたいと思うあの子の意志をね。あの子はいつか一まわりも二まわりも大きくなって、必ず俺のところに戻ってきてくれる、そう信じてね……」
 しんみりしながらそう語る冨井社長の前で、ついつられて神妙な顔でうなずき返してしまっている自分に気づき、僕は慌ててかぶりを振った。この孤独な経営者が、高価な玩具に自分の幻想を投影するのは、本人の勝手だ。しかし、僕までそれにつきあう必要はない、探偵としてはただ、求められたミッションを果たすだけでいい。
 僕は口調を改めて話を進めた。
「まあ、とにかく。 みきちゃん≠ェいなくなった=Aそうですね? それは具体的にはいつのことなんですか?」
「三ヶ月くらい前だよ」
 社長はあたりまえのような顔で答えた。
「けっこう前ですね。その間、探し出そうとはお思いにならなかったんですか?」
「だから、今言ったばかりじゃねぇか、俺はあの子の意志を尊重してだな……」
「いや、それはわかりましたが、なぜ今になって急に探そうとしておられるのかなと」
 ちょっと前まで力なくうなだれていた社長が、なぜか再び活力を得たかのように上体を起こし、居丈高な態度に戻って胸をそびやかした。
「事情が変わったんだよ」

 

 冨井社長が語った「事情」というのはこうだ。
 三日前、社長は見知らぬ者からの訪問を受けた。社長はアポなしの訪問は原則として受けつけない主義だが、あまりに執拗なので根負けしたのだという。聞けば訪問者は、日本機械工学サービスセンターの職員だというから、社長は慌てて人払いして、社長室のドアを閉めた。みきちゃん≠フことが女子社員たちに知れたら、威信に関わる。
「みきちゃんを回収させろって言うんだよ、あいつら」
 センターが「シャクシャク-25」の後継機種としての「魅機MOUS-27」にかける期待は、小さなものではなかった。プログラムとして組み込むキャラクターの設定年齢をあえて二十七歳と高めにしたのは冒険だったが、廉価なものではないだけに、顧客として見込めるのは企業経営者など比較的高い年齢層だ。「妙齢ながらちょっとおっちょこちょい」という、一定年齢以上の男心をくすぐる性格設定は、必ずや顧客満足に結びつくであろうという確信があった。
 パイロット版として出荷した三十体のうち、冨井社長のみきちゃん≠含む二十七体が、いいペースで売れた。方向性は間違っていないとの自信を得たセンターは、外部委託による「魅機MOUS-27」の量産態勢を整え、この夏のビール商戦に合わせて広告を全国展開する予定でいた。
 ところが、まるでそのタイミングを見計らったかのように、某企業からエージェントを通じて「待った」がかかった。アメリカの総合エンターテインメント企業・D社だ。
「これがその通告書のコピーなんだそうだけどさ、まったくアメリカ人ってのはなんでもかんでも係争のネタにしやがる。俺のみきちゃんがあのネズミとなんの関係があるってんだよ!」
 エージェントの言い分は、以下のとおり。このお酌ロボットの商標、つまり「魅機MOUS-27」は、D社が権利を有するメインキャラクターの名称と「著しく相似」しており、「該企業(つまりD社)の対外的イメージおよび利益に莫大かつ深刻な損害を及ぼす危険性」があるため、「30日を過ぎない期間中に出荷後の該製品を全数回収し、廃棄しない場合は、然るべき法的手段に訴える所存」であると。
 センターはわずか十数名で切り盛りする吹けば飛ぶような零細企業、圧倒的な資本力を持つD社の圧力にすっかり泡を食ってしまい、すでに出荷してしまった「魅機MOUS-27」を血眼になって自主回収しはじめたのである。
 すでに何度か「商品回収へのご協力」を要請する封書を届けたはずだとセンター側は主張していたが、社長はそれを見た記憶がなかった。おそらく、日々山のように届くCD全集やらDVD全集やらの購入を促すダイレクトメールと一緒に、開封もせずシュレッダー行きにしてしまっていたのだろう。返答がないのに業を煮やしたセンターが、直接職員を派遣したというわけだ。
「返金した上で相応の補償金も支払うって言うんだけどさ、肝腎のみきちゃんの行方が知れないんじゃどうしようもねえだろ? 第一仮に居場所がわかってたとしたって、むざむざ奴らの手に大事なみきちゃんを引き渡せるかってんだよ」
「それはそうでしょうが、社長に居場所がおわかりにならないんだったら、センターの人たちにもわからないのでは?」
「いや、あいつら、だったら自分たちで捜すって息巻いてやがるんだよ。で、万が一奴らにつかまってみろ、どうなると思う? あいつら、みきちゃん≠バラバラにするつもりなんだぜ? 殺人だろ、これは!」
「それはどうでしょうか。法的にはあくまで、せいぜい器物損……」
 冨井社長が、むしろ僕をバラバラに切り刻まんばかりの危機迫る形相で睨んだ。
「あ、いえ、はい、まあ、いわば殺人≠ノ準じることですよね。しかしなぜ?」
 センターはD社から、正確にはD社が雇ったエージェントから、「魅機MOUS-27」を回収した証拠として、出荷したすべての起動ユニットの提出を要求されているという。そこに刻印された「魅機MOUS-27」の名称とシリアルNoをすべて確認することをもって、回収作業が完了したと見なされるわけだ。
 起動ユニットは(人間だったら)心臓のあるあたりに据えつけられた携帯電話大のパーツだが、このロボットのまさに心臓部分と言ってよく、「学習」によってカスタマイズされた情報、つまり個々の「魅機MOUS-27」を特徴づけるデータ群は、すべてここに蓄積される。
 それを「提出」するということは企業秘密を漏洩するようなものだから、当然、内部は再生不能な状態にまで破壊してからエージェントに引き渡すことになる。みきちゃん≠ェどれだけ「学習」を積んでいたとしても、その「人格」は永遠に失われるわけだ。
 冨井社長は、僕には「みきちゃんはロボットなんかじゃない」とか言っておきながら、センターの人間にはそんな技術的なことまでしつこく問いただし、詳しく聞き出していたらしい。
「でも、そんなの、シリアルNoだけ揃えて、ダミーを作って提出してしまえば済むことなんじゃないでしょうか」
 僕がその疑問を口にすると、社長は眉を「へ」の字にして口元を歪めた。
「それは俺もやつらに言ったんだけどさ、聞かねぇんだよ。それじゃダメなんだってさ。よっぽど怖ぇんだろうな、D社が」
 とにかく、そうとなったらなんとしてもセンターより先に自分がみきちゃん≠確保しなければならない。そう見切った冨井社長は、「分単位で動く激務の中をかいくぐって」お忍びでこの探偵事務所までやってきたというわけだ。
「そんなわけで、ひとつ頼むぜ。俺はこのとおり、忙しくて身動き取れねぇんだよ。今日だってやっと暇見つけてここへ来たんだよ。俺は超多忙なビジネスマンなんだよ。俺がいなきゃ事業は立ち行かねぇなんだよ。俺が全部を仕切ってんだよ」
 なんという恩着せがましい言いぐさなのか。まるで、忙しい中僕のためにわざわざ無理して来てやったのだとでも言わんばかりだ。僕はなかば呆れて、社長の赤黒い顔を見上げずにはいられなかった。
 しかし、探偵事務所経営者としての僕が、背に腹は代えられない状況にあるのもまた事実だ。冨井社長はとりあえずの活動費として十万円をキャッシュで手渡してくれたが、それは早晩、ツケにしてある先月分の事務所の家賃に消える運命にあった。
 そんなわけで僕は、「自ら失踪お酌用ロボットを捜す」という外聞が憚られるほどきてれつきわまりない依頼を、受けないわけにいかなくなってしまったのだった。

 

 冨井社長が残していった手がかりはただ二つ。
 ひとつは、みきちゃん≠フ写真だ。センターのパンフレットを見るかぎり、出荷時点での「魅機MOUS-27」は黒髪のロングヘアなのだが、みきちゃん≠ヘかなり茶色がかったショートだ。社長自身の趣味らしい。
 しかもその写真の中でみきちゃん≠ヘ、親指と人差し指で直角を作り、その手を顎の下にあてがうポーズを取っている。プリクラのカメラに向かっているそこらの若い娘となんら変わりがない。これが本当に、お酌用ロボットなのだろうか。
 もうひとつは、社長がみきちゃん≠「住まわせて」いたアパートの住所。僕の事務所からそう離れてはいなかったから、そもそも社長は近場の探偵事務所を当たった結果、僕のところに辿り着いたらしい。
 以上、手がかり終わり。
 あとは「念のため」ということで知らされた、みきちゃん≠フシリアルNoだけだ。こんなものは、「手がかり」にも何にもなりはしない。
「その写真はセンターのやつらにはわざと見せなかったからよ、あんた、有利な立場で捜索を開始できるぜ」
 社長はそう言って、何やらとっておきの秘密兵器を出してみせでもしたかのように得意げな顔をしていたが、これが「有利な立場」なら、僕はとっくに稀代の名探偵として赤坂あたりにビルを建てていただろう。
 いろいろな意味で気が進まない仕事ではあったが、あまり悠長にもしていられなかった。D社のエージェントが日本機械工学サービスセンターに指定した「証拠品」の提出期日まであと十日、今ごろはセンター側も死にものぐるいでみきちゃん≠捜しているに違いなかったからだ。
 僕は二、三日の間、なかばは捜索のための予備調査として、なかばは腰の引ける捜索の仕事を少しでも先延ばしにするための口実として、ネットなどを使って入手できる限りの「魅機MOUS-27」に関する情報を収集して過ごした。
 多くは掲示板への個人の書き込みなど、あまりあてにならない断片的な情報だった。中には何を勘違いしたのか、このロボットに「マ×コがついてない」ことについて激しく抗議しているユーザーもいた。
 無理もないとも言える。パンフレット等の写真で見るかぎり、この商品は「ロボット」と言うより、ヒューマノイドとかアンドロイドと呼んだ方がふさわしいほど、生々しくリアルな女の姿をしているからだ。
 ただ、「魅機MOUS-27」についての言及が一番多く見つかったのは、意外なことに2ちゃんねるのオカルト関連スレッドだった。いずれも又聞きや根拠のない風説に基づくものらしく、信憑性のほどは怪しいものの、それらの発言が共通して主張している点は、一部の製品が「言語・行動学習能力を暴走」させ、製造元のセンターでさえ想定していなかった勝手な行動を取りはじめている、ということだった。
 その「勝手な行動」の例として挙げられているのは、おおむね次のような内容だ。(1)お酌をした後、そのグラスを奪い取って自分で飲み干す。(2)手にしていたビール缶を突如放り出し、なにか火急の用件を思い出したかのように「ツッタカター」と走り去る。(3)興が乗ってくるとテーブルに肘をついて身を乗り出し、「……なんスよ」という体育会系の口調で「侠気」について熱く語りはじめる。
 何も知らなければ、どうせだれかが仕込んだネタだろうと一笑に付したところだ。ただこれらの記述と、僕が冨井社長から聞いたみきちゃん≠ノついての話は、相互にその信憑性を補足しあう関係にあった。
 なにかあるのだ。こういった話そのままではないにしても、このロボットには間違いなく、どこか異常なところがある。なめてかかったら痛い思いをするかもしれない。
 そこで僕は手始めに、冨井社長が「癒され」るために日々通っていたというみきちゃん≠フアパートに足を運んでみた。僕の事務所から車で五分の距離。「コーポ・スカイハイパレス」とかいう名前がついているが、築十五年くらいのただの二階建てで、「スカイハイ」どころか、近くの雑居ビルの影になっていて陽さえ射さないような立地だ。
 もっとも、この日も朝からなんとなくグズグズしていて、昼過ぎに冨井社長から進捗状況を尋ねる偉そうな電話がかかってきてからようやく腰を上げた次第だったため、着いたときにはもうどっちみち日が傾きはじめていたのだが。
 社長がみきちゃん≠「住まわせ」ていたという202号室には、鍵もかかっていなかった。みきちゃん≠ェいつふらりと帰ってきてもいいように、という配慮だろう。無断で上がらせてもらうと、小さなダイニングキッチンのテーブルに、「みきちゃんへ かえってきたら もうどこへもいかず ここにいてね トミー」という書き置きがあった。
 奥にもうひとつ、殺風景なフローリングの部屋があって、ホームセンターで間に合わせに買ったような座卓が置いてある。ここで夜な夜な、社長がみきちゃん≠フお酌を受けていたのにちがいない。ふと思いついて冷蔵庫を開けると、缶ビールばかり二ダースほど並んでいる。
 これだけあるなら、ひと缶くらいなくなったってわかりはしないだろう。僕は一本だけ拝借してその場で喉を潤しながら、リビングの座卓でみきちゃん≠フついでくれるビールを飲んで鼻の下を伸ばしている冨井社長の姿を想像してみた。
 いい身なりをした五十男が思い描くにはあまりにささやかな、そのくせ現実には決してかなわない夢。それをかなえるのがみきちゃん≠セったのだ。なんだか物悲しくなる。
 ビールを飲み終えると、僕はアパートを出て、みきちゃん≠ノなったつもりで近隣の路地を歩いてみた。
 行方不明者を捜すとき、僕がいつも一番最初にやることだ。その人物がいなくなった場所に立ち、その人物になったつもりで周囲を見回してみる。そして、その一帯をぐるりと歩いてみる。そうすると、思わぬヒントが転がっていたりするものなのだ。
 しかし、「みきちゃん≠ノなったつもり」というのは、困難なことこの上ない課題だ。ロボットの心理など、想像もできない。いやそれ以前に、そもそもロボットに「心理」なんてものがあるのだろうか。
 僕はいささか途方に暮れながら、近隣の道をあてもなくさまよい歩いた。住宅地と商業地が混ざり合っているようなごみごみした一画だ。気がついたら、駅前に来ていた。
 バスのロータリーを前にちょっとした広場があって、五、六人の若者が声を張り上げてなにかの募金活動をしているかたわらで、老人がベンチに腰かけて煙草をくゆらしている。自分もひとまず一服しようと思ってそこに向かった。
「恵まれない子供たちに愛の募金をお願いしまーす!」
「ビザカード、マスターカードもオッケーでーす!」
 そんな声が飛び交っている。クレジットカードで募金など聞いたこともないが、最近はそういうものなのかもしれない。その様子を横目に、煙草に火をつけようとした瞬間、僕は思わずライターを取り落としてしまった。
 募金活動をしてるグループの一人が、写真に写っているみきちゃん≠ニ瓜二つだったからだ。

 第二話◎魅惑の機械人形(後編)
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 レクチャールームで、私はいろいろなことを教わった。
 私のほかにも、六人の私がいた。全員まったく同じ、おたがいに見分けがつかない七人の私が、並んで授業を受けるのだ。私たちは全員が「みき」なので、区別するために、仮に記号で呼ばれていた。たとえば私は、“E05”だ。
 講師の人はメガネをかけた痩せ型の人で、名前は特に名乗らなかった。同じ顔をした六人の私と、その講師の人以外の誰にも会わない日々が続いた。あの硬くて冷たい台の上で目覚めたとき、私の名を呼んだ太った男の人の姿を、その後見かけることはなかった。それはちょっと心細いような、逆にほっとするような、おかしな気分だった。
 私たちはみんな同じ髪形で、同じ服を着せられていた。白いブラウスの上に、ピンクのベストとピンクの上着、ややタイトな膝上丈スカートも、同じピンク色だ。それが、代表的な「OLの制服」であり、私たち(文字通り、「私」の複数形)は、まずそれを着用することに慣れなければならないのだという。
「もっと正確に言えば、日本のオジサンたちがこうあってほしいと思う“OL”像の代表的なもの、ということです。わかりますか?」
 講師の人はそう言いながら、スクリーンをポインタで指した。画面には、私たちと同じ恰好をした女の子が、オフィスの中でコピーを取ったり、上司にお茶の入った湯飲みを渡したりしている姿が写っている。
 でも私は、それをすでに知っていた。ほかの私たちも、そうだったと思う。講師の人にも、それはわかっていたようだ。ただ、外の世界に出荷される前の「確認」として、知識のおさらいをしておくのが、このレクチャーの目的だったらしい。
 そうして私はある日、ほかの六人の私たちと別れて、一人で出荷された。
 私の持ち主になった人は、若作りをしたおじさんで、自分のことは「トミー」と呼んでほしい、と言った。自分が何をすればいいのか、私にはわかっていた。私は、彼が通してくれた畳の部屋に入ると、にっこり微笑んで、キリンラガービールの瓶を傾けた。
「おお、さっそく悪いね」
 トミーはそう言って、顔をほころばせた。
 持ち主が喜んでくれるのは、私も嬉しい。私は、心から微笑み返した。

 

 ろくに捜してもいないうちから、降って湧いたように“みきちゃん”本人が、しかも失踪元のアパートからいくらも離れていない場所に現れるとは。
 あまりにできすぎなシチュエーションだ。僕は自分の目を信じることができず、幻覚でも見ているのではないかと何度も目をこすってみたのだが、やはり本人(というか現物)にしか見えない。着ている服装も、いかにも"Tommy Yam-Yam"っぽい黒のスーツ(ボトムスはもちろんタイトなスカート)だ。
 しかし、なんだってお酌ロボットが、こんなところで募金活動などに加わっているのか。
「あの……すみません」
 さすがに直接話しかけるのは憚られたので、一番僕寄りの位置で通行人に頭を下げていた、二十歳そこそこの小柄な女の子に声をかけてみた。拡大コピーした欠食児童の写真を手にしている。
「あ、ご協力いただけるんですか? 恵まれない子供たちに、ぜひ小額でもかまいませんので愛の手を!」
「あ、いや……募金するのはやぶさかでないんだけど、ひとつ質問していいかな。向こうの端に立ってる彼女、君たちの仲間だよね?」
 女の子は“みきちゃん”によく似たその女を無言で見ながら首を傾げ、隣に立っていた女の子に声をかけた。
「ユカ先輩、はじっこのあの女の人って、誰だかわかります?」
 ユカ先輩と呼ばれた方の女の子も、身長百五十cmそこそこ、よく似た背格好をしていた。
「え、リコちゃんも知らないの? 私もさっきから誰かなーって思ってたんだけど、リコちゃん何も言わないから、知ってんのかと思ってた」
 彼女たちがが残りの先輩たちに訊いてまわったところ、実は居合わせた誰も、「はじっこの女性」が誰であるかを知らなかったことが判明した。全員が、「ほかのだれかが連れて来たんだろう」と思っていたのだ。
 グループがざわざわしはじめたのをよそに、当の本人はなにやら携帯にかかってきた電話に出て、何者かに向かって、到着が遅れていることの釈明をしているようだ。
 いったい、何がどうなっているのか。
「じゃっ、すみません、私、別件があるんでもう行きます! がんばってくださいねー」
 電話を切ると、彼女はあっけに取られている若者のグループに向かってにこやかにそう言うなり、くるりと背を向けて脱兎のごとく走り去った。ツッタカタカー、と。
 つられて駆け出そうとした僕を、二人の女の子の手が引き止めた。
「その前に!」
「募金業界のミニモニ。と呼ばれる私たち“ユカリコ”に!」
「愛の募金をお預けくださーい!」
 女の子たちは、何度も練習したと思しい絶妙の間合いでそう言うと、揃って僕に空の手のひらを差し出した。走り去った女に気を取られていた僕は、財布に硬貨があることに気づかず、“ユカリコ”の二人に千円札を渡してしまった。
 手痛い出費だ。
 橋の途中で黒スーツの女に追いついたときには、まともに呼吸もできないほど息が乱れ、全身汗まみれになっていた。いや、正確には彼女に「追いついた」とさえ言えない。追いつく寸前でつんのめって転んだところ、その物音に振り返った彼女の方から「大丈夫ですか?」と駆け寄ってくれたのだ。
 道端にぶざまに尻をついた僕の方に向かって身をかがめた拍子に、襟の大きく開いた真っ白いシャツの隙間から、豊かな胸元が覗く。ロボットなのかもしれないということも忘れて、一瞬、目のやり場に困ってしまう。
「あの……もしかして“みきちゃん”?」
「あ、はい。みきです。なんで私の名前ご存じなんですか?」
 まちがいなく、会話が成立している。それも、「いやあ、今日も疲れたよ」「お疲れさま。はい、ビール、冷たいうちに飲んでください」といったお仕着せのやり取りではない。僕はまず、その点に驚いた。
 しかし、と懐疑的なもう一方の自分が呟く。しかし、これが例の“みきちゃん”である保証はない。もしかしたら、彼女はたまたま“みきちゃん”と寸分変わらぬ容姿を持つ人間の女で、たまたま名前が「みき」であるだけかもしれない。
「僕は……実はその、冨井俊松氏の知り合いなんだけどね」
「トミーの? うわぁ、トミー元気にしてますかあ? 懐かしいなあトミー! 最近会ってないんですよねぇ」
 彼女はそう言って、満面の笑みを浮かべた。「トミー」という名を口にすることで、これが捜し物の“みきちゃん”である確率はかぎりなく百%に近づいた。しかし、これがロボット?
 もしかして僕は、冨井社長にかつがれているのではないだろうか。“みきちゃん”というのは、実は「魅機MOUS-27」とは何の関係もない生身の女で、社長がアパートに囲っているいわゆる妾に過ぎないのでは?
 しかしいずれにしても、僕はこの女が本当に冨井社長の捜している“みきちゃん”なのかどうか、確かめる必要があった。いくつか訊きたいことがあるのだと言うと、彼女はこれから「仕事」なので今は無理だと言う。そもそも約束の時間に遅れていてさっきも催促の電話があったばかりだと言うのだ。
「仕事って……何の?」
「行ってみないとよくわからないんです。昨日、街でおじさんに声かけられて、今日から出勤ってことになってるんですけど。なんか、男の人の隣に座って、気持ちよくさせる仕事、とか聞いてますけど」
 僕は思わず、ため息をついた。それがピンサロでなくて何だと言うのだろう。勘弁してほしい。どうしてロボットがピンサロで働くのか。
 そのとき、女が持っていた携帯が派手な着メロを鳴らした。
「あ、ヤバい、また催促だ!」
 僕は反射的にそれを彼女から奪って、電源をオフにした。
「なんで切っちゃうんですか」
「……そのおじさんって、悪い奴だから。君が何も知らないのをいいことに、変なことさせようとしてるんだよ。そもそもこのケータイ、どうしたの?」
「そのおじさんが昨日、貸してくれたんです。私があちこち泊まり歩いてるって言ったら、連絡できないと困るからって」
「もう、連絡取らなくていいよ、そのおじさんとは」
 僕はそう言って、携帯を川の中に放り込んだ。何も知らないらしい彼女を誑かしてよからぬことをさせようとしているその「おじさん」が、腹立たしてくならなかったのだ。ドブに毛が生えた程度の浅い川だが、水が濁っているので、底に沈んだ携帯はもう見えない。女はそれを、名残惜しそうに見守った。僕はまるで、無知な家出娘を「保護」しようとする大人の心境になっていた。
「とにかく……どっかそこらで話をしようよ」
「あ、だったら飲みに行きませんか? トミーの話とかもいろいろ聞きたいし」
 そこでどうして「飲みに行く」という選択肢になるのか、僕にはわからなかったが、それを断るわけにはいかなかった。
 なぜなら、それは僕にとって、職務の一環と見なされうる行為だったからだ。
 ただ、今となっては、確信を持ってそうだったと言うことができない。僕はもしかしたら、ただ単に、このスーツ姿の肉感的な女と酒を飲む、という魅力的なシチュエーションに引きずられていただけなのかもしれないからだ。

 

 外はまだ明るかったが、駅前の一番安そうな小汚い居酒屋がもう営業を開始していたので、僕はひこに“みきちゃん”を連れて入った。そして驚いたことに、そこを出たのは閉店の十二時だった。たぶんそうだと思う。
 いくら払ったのか、正確には覚えていない。彼女もいくらか財布から出していたような気がする。ロボットがどうしてお金を持ってるのか、どこで手に入れたのか、そのへんは謎のままだ。
 それを言うなら、謎はほかにも山のようにある。ロボットがどうして、生ビールの中ジョッキをいくつも空けたり、馬刺におろしにんにくをつけてうまそうに頬張ったりするのか。ときどきトイレに行ったりすることに到っては、合理的な説明のつけようがない。
 しかし彼女が、まさに冨井社長の捜している“みきちゃん”であることは、もはや疑いのないところだった。彼女がロボットであるかどうかは、また別の問題だ。途中からはもう何も覚えていないのだが、記憶をなくすほど酔っぱらうまでの間に彼女から聞き出した内容をまとめると、こうなる。
 彼女が自ら冨井社長のアパートを出たときには、ちょっと近所を散歩したら帰るつもりだったという。社長への書き置きは、万が一留守にしている間に社長が来た場合のことを考えて、心配しないように「念のため」残していったものだったのだ。
 ところが、結果として彼女はその後三ヶ月にわたって、アパートに帰ることができなかった。目の前で交通事故に遭った見知らぬおばあさんに付き添って救急車で病院まで行ったのを皮切りに、なにかに巻き込まれたり、なにかを頼まれたり、なにか勘違いしたりされたりの繰り返しで、帰ろうにも帰れない。
 わずかな記憶を頼りにどうにかアパートの近くにまで戻ってきてはいたのだが、そこでもまた彼女は、あちこちに引っかかっていた。
 募金活動もそうだ。たまたま近くを通りかかり、何をしているのかと興味を抱いて見ていたら、通行人から「お願いします」とお金を手渡されて、「行きがかり上」、そのまま彼らの活動に参加する羽目になっていたというのだ。
 よくよくのお人好しかつおっちょこちょいでなければおよそ考えられない話だが、彼女のどこか愛嬌のある面立ちや身のこなしには、たしかにそれを裏づけるようなものが感じられる。
「だいたい、今の世の中、人情ってもんが薄すぎるんスよ!」
 気がつくと彼女はテーブルに片肘をついて、体育会系のノリでそんなことを熱く語りはじめていた。そして僕もなぜか、鼻息も荒くそれに同調していた。
「そうそう、みんな変に醒めてるっていうかさあ」
「特に若いやつらね。あんな醒めてて、どうするんスかって思いますよ。あんなんじゃ、新しいものなんてなんも生み出せないっスよねー!」
「そのとおり! このままじゃ国が滅ぶよ、なんかこう、もっとアツくたぎるもんがないとさあ!」
 正確には覚えていないが、たぶん、そんな話をしていたのだと思う。
 後から思えば、気恥ずかしくなるような台詞のオンパレードだ。仕事も恋愛もうまく行かず、どちらかと言えば失意のうちに味気ない毎日をやり過ごしている僕の言うこととは、とても思えない。しかし僕は、それを口にした瞬間に、実はそれこそが本音であることに気づき、自分で驚いていた。そのうち驚きも通り越して、目が覚めるような快感を覚えながら、僕は彼女と熱いトークを交わしつづけた。
 ありていに言えば、僕はすっかり彼女と意気投合してしまっていたのだ。とにかく、楽しくてしょうがなかった。たぶん、途中からは同じ話の無限ループに陥っていたものと思われるが、そんなことは本質的な問題ではない。一晩中そうしていてもかまわないと思ったし、そうしていたいと思った。それこそが酔っ払いの醍醐味というものではないか。
 でも店は十二時で閉店だし、もうまともに立てないほど酔いが回っていた。ただし、足もとがふらついてるのは彼女も同じだった。
 僕は彼女と「同期の桜」でも合唱しかねない勢いで肩を組み、あっちへよろよろこっちへふらふらしながら、真夜中の路地をさまよい歩いた。そこから歩いて数分の彼女のアパートまで送る代わりに、タクシーを拾って事務所まで彼女を連れ帰ったのは、なぜだったのだろうか。“みきちゃん”かもしれない彼女を「確保」するため? いや、たぶん違う。僕はただ単に、彼女を手放したくなかったのだ。彼女ともっと一緒にいたかっただけなのだ。
 そして朝が来て、僕は向かいのソファで寝息を立てている彼女を発見した、というわけだ。
 やはり、どう見てもロボットとは思えない。
 透き通るように白い肌はなまなましい質感を帯びているし、スカートからなかばあらわになっている、ストッキングに包まれた太もものなまめかしさと言ったらどうだ。ソファの安っぽい生地に片頬を押しつけるようにしている顔のそばにそっと手のひらをあてがってみると、鼻の穴から規則的に、暖かく湿気を帯びた息が漏れ出てきている。
 どこからどう見ても、これは人間だ。これが生身の人間でなくて何だと言うのか。
 そう思った瞬間、僕はふと、猫のように丸めた彼女のうなじに、なにか細長い汚れのようなものが付着していることに気づいた。
 顔を近づけて見ると、肌に直接付着したものではなく、その一層下に刷りこまれているように見える。汚れではない。なにかの数字とアルファベットだ。
 まさか、と思いながら、僕はパスケースに折り畳んで入れておいた紙切れを取り出した。

      MM-0500122-E05

 同じだ。間違いない。冨井社長から知らされていた、“みきちゃん”の、「魅機MOUS-27」としてのシリアルNo。
 嘘であってほしかった。それは、プロの探偵としては不可解で、あるまじき感情だった。僕はみごと、与えられた期限内にクライアントからの依頼内容をクリアしたのだ。もろ手を挙げて喜ぶべき事態ではないのか。
 にもかかわらず僕は、この「捜しもの」を、所有者のもとに返したくないと思っている。
 僕は川に向かって取りつけられているたてつけの悪い窓ガラスを開けて、深呼吸をした。かすかにドブみたいな嫌な臭いが混ざってはいるものの、それでも朝の空気のすがすがしい香りが鼻腔を満たす。僕は意を決して、もう“みきちゃん”の方は見ないようにしながら電話機に向かった。
 プロとしての仕事に戻ろう。依頼主に報告をしなければ。
 僕は息を詰めて、冨井社長の携帯電話の番号をダイヤルした。
「ああ、あんたか……。今ちょっと朝イチの定例会議中でさぁ。悪いんだけど後でまたかけなおしてくんないかなぁ」
 冨井社長は、そう言って億劫そうに応じた。
「いえ、早い方がいいと思いまして。……“みきちゃん”を確保しましたよ」
「……そうか」
 予想外の鈍い反応に、僕は苛立ちを覚えた。
 こっちがせっかく気持ちを奮い立たせて取り急ぎ電話したというのに。言っている意味が伝わっていないのだろうか。
「あの、ご依頼のあった“みきちゃん”ですよ? 間違いないです、今、すぐそこにいるんですよ」
「ああ、わかった。じゃあ、そのまましばらく待っててもらえる?」
 そう言って社長は、一方的に通話を打ち切った。そのそっけない調子はいささか不満だったが、とにかくあとは、やって来た冨井社長に“みきちゃん”を引き渡すだけだ。彼女はまだソファの上で、いつ果てるとも知れない眠りを貪っている。ロボットがどういうメカニズムで「眠る」のかはわからないが、できればこのまま、目を覚まさないでほしいと思った。
 彼女ともうひとことでも口をきいたら、抑えていた未練が一気に噴き出しそうだったからだ。
 「応接室」のソファに彼女を寝かせたまま、落ち着かない気持ちで雑誌を漫然とめくりながら待っていたら、一時間ほどして、呼び鈴が鳴った。
 どうぞ、という僕のかけ声に応じてドアを押し開けたのは、冨井社長ではなかった。
 歳の頃は、社長より少しばかり上だろうか、背丈はそれほどないが、張り出した腹部が力士並みに威風堂々とした貫禄を添えている、恰幅のいい男だ。天然パーマとおぼしい縮れ毛を独特の形にカットしているさまは変人そのものだが、銀縁メガネの奥から覗く瞳には、理知的な輝きがある。男は事務所に足を踏み入れると、何も言わずに悠然と中の様子を見回した。
「あの、失礼ですがあなたは……?」
「冨井社長なら来ませんよ」
 男は早口にそう言った。
「坪田と申します。日本機械工学サービスセンターの所長です」

 

 真っ白になった頭の中で、僕は素早く推理をめぐらした。
 たしかに冨井社長は、「待っていろ」とは言ったが、「自分が行く」とは言わなかった。しかしだからと言ってなぜ、いわば敵方のセンターの、しかも所長がここに来るのか。そしてこの男はなぜ、僕が冨井社長を待っていたことを知っているのか。
 筋の通る推理は、何ひとつ浮かんでこなかった。
「どういうことでしょうか?」
「冨井社長は、この件から手を引きました。代わりに私が、“魅機MOUS-27”の最後の一体を引き取りに伺ったわけです。先ほど、その一体を確保した、と社長にご連絡なさいましたね? それを私が社長から伝え聞いてここに……」
「さて……何のお話でしょう?」 
 僕はとっさに、応接室のドアが閉まってることを目で確認しながら、どうにかこの場を切り抜けるための知恵を絞りはじめた。しかし、数年ぶりの激しい二日酔いに痛む頭では、ろくな案を思いつけない。時間稼ぎに、こんなことを言うのが精一杯だ。
「私はたしかに、冨井社長からあるお仕事のご依頼を受けてはおりましたが、あなたのおっしゃるその、最後の一体とかいうのはいったい……」
「いいんですよ、もう」
 坪田所長が、鼻で短く笑った。
「昨夜の時点で、社長とは話がついてるんですから。彼はその“魅機MOUS-27”の所有権を、すでに放棄されてます。もちろん、補償金もお支払いしましたがね」
 僕は狐につままれたような気持ちになって、口ごもった。
「しかし……」
「なぜ彼がそれを手放す気になったか、ですか?」
 坪田所長は懐から煙草を取り出し、一本を僕に勧めた。僕が上の空でそれを受け取ると、所長は慣れた手つきでジッポの火を僕に近づけ、自分の分にも火を灯してゆっくりと煙を吐き出した。
「私どもは、つまり日本機械工学サービスセンターは、最初から冨井社長の発言に疑わしいものを感じていたんですよ」
 そう言って所長は、瞼が重たく垂れ下がっているように見えるうつむいた目で、煙草の先端をじわじわと燃やしていく赤い火を見つめた。
「お酌ロボットのオーナーはたいてい、服装にせよ、髪型にせよ、出荷時のままでロボットを使用することはありません。ほぼ必ず、自分好みの見かけにカスタマイズします。でも社長は、髪にも服にも手を加えてないと言う。これは不自然だと思ったわけです」
  所長は僕のデスクの上の灰皿に手を伸ばして、こまやかな手つきで灰を落とした。
「なにか隠している、あるいは少なくともなにかたくらんでいるなと。そこで、いったん引き上げて油断させておきながら、後日ちょっとばかり、カマをかけてみたんです。“魅機MOUS-27”よりももっと高性能なロボットを、まったくのカスタムメイドで、しかも無償で提供しますよ、と。だからなにか知ってるんなら包み隠さず教えてくださいと。……社長はあっけなく転びましたよ」
 なんという卑劣な人間なのか。
 あれだけ“みきちゃん、みきちゃん”と騒いでおきながら。あれだけ声を大にして叫んでいた彼女への「愛」は、そんなことであっさり打ち消されるほど底の浅いものだったのか。
 やり場のない怒りを奥歯で噛み締めるような思いでたたずむ僕に、坪田所長は追い討ちをかけた。
「そんなわけで、あなたにはもう、冨井社長が所有していた“魅機MOUS-27”に対して、なんの責任もないのです。お引き渡しいただけませんか。社長があなたにお支払いすると約束していた成功報酬は、私どもが肩代わりしますから」
 金の問題ではない。金なんてこの際、どうでもいいのだ。
 そのとき、狙いすましたかのように「応接室」の方からドシンと派手な物音がした。“みきちゃん”がソファから転げ落ちたのにちがいなかった。僕は思わず、目を閉じて舌打ちした。
「今、そちらの部屋からなにか物音が……」
「あ、ネ、ネズミじゃないですかね。いやぁ、最近、困ってるんですよ、でっかいネズミがウロウロして」
 われながら、下手な言い訳にもほどがある。
「なるほど、ネズミ……“魅機”という名のマウス、ですね?」
 坪田所長が、残忍そうな微笑を浮かべた。少なくとも、僕の目には「残忍そう」に見えた。なにしろこの男は、彼女を連れ去ってスクラップにしようとしているのだ、僕の“みきちゃん”を! 僕は無意識のうちに、ひそかに冷笑していたはずの冨井社長と同じ台詞を心の中で叫んでいた。
「あいたたたた……落っこちちゃったよぉ……」
 そう言って豊満な腰のあたりをさすりながら、“みきちゃん”が「応接室」から出て来た。
 もはや、万事休す。
「昨夜、すっごい飲みましたねぇ、いやぁ飲んだ飲んだ! あ、すいません、トイレってどこですか? ……あれ、お客さん?」
 そう言って坪田所長の顔を見た“みきちゃん”の目に、不安に似たものがわずかに走った。そこにどんな意味があるのか、僕にはわからなかった。彼女を自分の所有物であるかのように冷たく見守る所長の視線に対する反応なのか、それとも、自分の製造主としての所長と、かつて面識を持ったことがあるからなのか。しかしもしそうなら、挨拶のひとつくらい交わそうとするのではないだろうか。彼女はただ、説明を求めるように僕に視線を投げてよこしただけだ。
「いや、何でもないんだ。トイレはそっちだから、行っておいで」
 無言でうなずいた“みきちゃん”は、心細そうな目で何度も僕たちを振り返りながら、トイレに向かった。
「これはですね、その……」
「手前味噌な言い方をして申し訳ないが、“魅機MOUS-27”は、本当によくできたロボットでしてね」
 坪田所長は、なおも虚しい弁明をひねり出そうとする僕を遮って、トイレに向かう“みきちゃん”を横目で追いながら、それまでと変わらない静かな口調で語りはじめた。
「ちゃんとお酒も飲めば、料理を食べることもできる。体内に入れたアルコールの量を自動的に感知して、その酩酊度に応じたふるまいまでする。ロレツが回らなくなったり、足つきがおぼつかなくなったり……。トイレに行くのは、体内に溜まった料理などを文字どおり排出し、タンクを洗浄するためなのです。そこまでの“リアルさ”を追求しているわけです」
 僕はそんなことを言いはじめた所長の真意がわからず、ただ黙ってその早口の演説に耳を傾けていた。
「ただ、彼女たちは少しばかり、よくできすきていたのですよ。言語・行動学習能力を司るプロセッサに暴走の危険があることは、開発段階からわかっていました。私どもはいわば、化け物のようなプロセッサを作ってしまったんです。お酌をするだけのロボットに組み込むにはあまりに過分な……。ただ、このモデルを生産ラインに乗せることはすでに覆せない決定事項となっていました。だから私どもは、プロセッサの暴走を食い止めるためのリミッタを後づけで取りつけることで、それに対処したわけです」
 トイレの方から、豪勢に水を流す音が聞こえた。「排出」と「洗浄」が無事に終わったのだろうか。
「でも、それは意図した通りに機能しなかった。彼女たちの“頭脳”は暴走し、私ども自身さえ想定していなかったほどの“進化”を遂げてしまったんです。私どもの目から見ても、もはや彼女たちは、なにがしかの“感情”を持っているようにしか見えない。商品価値としての、擬態としてのそれではなく、自律的に存在するなんらかの“感情”を、です」
 僕は相づちも打たずに黙って聞いていたが、それはまさに、僕自身の正直な感想でもあった。“みきちゃん”の示す、生き生きとした喜怒哀楽が、ユーザーを喜ばせるための小手先の「擬態」なのだとは、とうてい思えない。
「私はこう思うんです。もしもそれが、事実上、人間の持っているいわゆる“感情”と同等の働きをするものなら、それはもはや……」
 坪田所長の演説は、“みきちゃん”がトイレから出てきたところで予告もなく中断された。“みきちゃん”は、所長に近づいていいものかどうか様子を見るように、トイレのドアの前から動かなかった。しかし、その彼女をあらためて一瞥した所長の目には、さっきまでのような残忍さはもはや感じられなかった。
 所長は不意にひとつため息をつくと、煙草の火を揉み消しながら、口調を改めた。
「私どもが捜していた“魅機MOUS-27”の最後の一体は、どうやらこちらにはないようですね」
「え……?」
「そこのお嬢さんは、似ているが違います。髪が短すぎるし、茶色すぎる」
 坪田所長の顔に、完爾とした笑みが浮かんだ。にわかに毒気が抜け、ほとんど慈愛に満ちているとすら言えるような暖かみが、皺に覆われたその目に兆している。
「それでは、私はこれで……。お邪魔しましたね」
「あの……」
 その巨体には似合わぬ軽やかな身のこなしで去っていこうとする坪田所長の背中に向かって、僕は思わず声をかけた。
「それだと所長は……センターの方々はお困りになるのではないですか?」
 所長はドアの手前で足を止め、一瞬の間を置いてから、振り向きもせずにこう言った。
「まあ……なんとかしますよ。それより、どうぞそのお嬢さんを大事にしてあげてください。あなたならきっと、そうしてくれるでしょう、冨井社長よりも……」
 ドアが閉ざされ、僕と“みきちゃん”だけが残された。
 僕たちは、黙って顔を見合わせた。僕には、“みきちゃん”を引き渡さずに済んだ安堵だけがあった。彼女はまだ少し不安そうな顔をしていたが、自分が置かれている立場を正確に理解しているようには見えなかった。
「彼を、知っていた?」
 そう訊ねると、彼女はうつむいて少し考えてから答えた。
「知ってるような気がしました。……でも、わからない」
「わからなくていいよ。彼はもう、ここには来ない。そして君は、ここにいていいんだよ」

  * * *

 ここにいていい。みきちゃんに向かってそう言い切った瞬間の僕には、正直なところ、明確な目算があったわけではない。しかし、その後いくら考えたところで、ほかに妙案が思い浮かぶわけでもなかった。つまり、彼女は「ここにいる」しかないのだ。
 そして、これからどうするのか? そんなことは僕にもわからない。
 ひとつだけはっきりしているのは、僕のささやかな城である「柳瀬探偵事務所」に、常勤のセクシーな女性助手が増えたということだ。もっとも僕は、どこかの暴君とちがって、女子職員にスーツ(しかもスカート)の着用を義務づけたりはしない。わけても"Tommy Yam-Yam"のスーツなんて、意地でも着させるものかと思う。
 でも困ったことに、僕も決して嫌いではないのだ、"Tommy Yam-Yam"のスーツが。そして、まるでそれを着るために生まれてきたような体型の“みきちゃん”が、まさに"Tommy Yam-Yam"のスーツに身を包み、事務所の中を颯爽と歩いたり、ごみ箱に蹴つまずいてたたらを踏んだりしている姿を眺めるのは、悔しいことに無上の喜びであったりする。
 でも、もうお酌はしてくれなくてもいい。僕に必要なのは、いつでもにこやかにお酌をしてくれる、中年男性たちにとって都合のいい女の子ではなくて、一緒に浴びるように酒を食らい、翌朝になったらもう覚えていない熱いソウル・トークを交わせる相棒だったのだから。
 僕がみきちゃんと過ごした日々は、こうして始まったのだ。 (次号へ続く)
平山瑞穂(ひらやま・みずほ)
1968年、東京都出身。'04年、『ラス・マンチャス通信』(新潮社)で第16回日本ファンタジーノベル大賞受賞。著作に『忘れないと誓ったぼくがいた』(新潮社)、『シュガーな俺』(世界文化社)、『冥王星パーティ』(新潮社)。最新作『株式会社ハピネス計画』(小学館)絶賛発売中。

阿部潤(あべ・じゅん)
1972年、静岡県出身。'90年にヤングマガジン(講談社)にてデビュー。その後、ヤングサンデー(小学館)連載の『the 山田家』が大ヒット。他の著作に『ミルオポン』(小学館)、『ふわふわ悪魔』など。最新作『はじめて赤ちゃん』(秋田書店)絶賛発売中。
作家からひとこと
2004年末、『ラス・マンチャス通信』でデビューしてから約2年半、出す本の作風が毎回違うことがもはや芸風となりつつある作家です。今回は、文芸とコミックのCOMPLEXのあり方を模索する編集部の豊田さんに白羽の矢を立てていただき、小説なのに「IKKI」に書けると知って狂喜しました。阿部潤さんという最適なコラボパートナーを得て、満を持してのコミック誌初進出、作者としても非常に楽しみな連載です。よろしくお願いします!(平山)
コミックス情報
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