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みき、と呼ばれたので、私は瞼を開いた。なぜなら私は、「みき」だからだ。
でも、いつからここにいるのだろう。長い旅をしてきたような気がする。そうでなければ、長い間眠っていたのだろうか。
やたらと眩しい。横たわる私の体を、丸い形にたくさん並んだ電球が照らしている。野球場の、ナイター用の照明みたいな。野球場? ナイター? いつ私はそんなものを観にいったのだろう。でも私は、「ナイター」がどんなものであるかを知っている。
はるか遠くでバッターボックスに入ってフォームを構える選手。キン、と響きわたる金属音。歓声。罵声。電光掲示板。ソフトクリームがついてべとつく指先。缶ビール。喉を通りすぎる、冷たくて泡立っていて苦味のある液体。ビール! ビールが飲みたい。
みき、ともう一度、だれかが私の名前を呼んだ。
私の声が聞こえてるかね、みき。さあ、体を起こして。
太った男の人が、そう言いながら私の顔を覗き込んでいる。眩しい電球を背にしているので、顔はよく見えない。横に広がる、不思議な髪形をしていることだけはわかる。私はこの人を知っているような気がする。よく知っている。でも、誰だっただろうか。知っているような気がするのに、誰だったか思い出せないことが、私を不安にさせる。
さあ、みき、今、何がしたいか言ってごらん、とその人が言う。
「ビールが飲みたい」
と私は、声に出して言う。喉を生まれて初めて使ったような気がする。そのくせ、唇も、舌も、意のままに動く。
「よし、合格だ!」
男の人がそう言って、私の背中に手を当て、横たわっていた冷たくて硬い台から私を助け起こそうとする。
私は裸だ。
太った男の人のほかにも、何人もの人が私を取り囲んでいて、私は急に恥ずかしくなる。
1
酔っ払った。
こんなに酔っ払ったのは、三十余年生きてきて初めてのことなのではないだろうか。
いや、そうではない。たとえあられもなく泥酔していても、普段は自分でそれを認識できないのだ。なぜなら僕は、ほとんどの場合、一人で酒を飲むからだ。誰とも口をきかず、黙々とバーボンのグラスを傾ける。ふとトイレに行こうとして、足腰が立たないことに気づいて初めて、酔っている度合いがわかるという仕組みだ。
なにも、好き好んで一人になっているわけではない。相手がいないのだ。もともとあまり人づきあいが得意な方ではない上に、今はたった一人で仕事をしている。前の職場の同僚とも、自然に会わなくなった。勢い込んで脱サラなどするのではなかった、とときどき悔やむことがある。何しろ、それがきっかけで僕は、ほぼ結婚確定と思っていた恋人まで失っているのだ。
「隆行には、現実ってものが見えてないのよ」
そのひとことを残して、晴海は去った。彼女の言うとおりだったのかもしれない。現に僕の事務所はいつも閑古鳥が鳴いていて、僕はやりきれない思いを麻痺させるために一人でグラスを空けつづけるのが習慣になっている。そんな酒など、うまくもなんともない。
しかし、共に杯を交わしてくれる相方がいると違う。それも、とびきり気の合う相方だ。一夜明けたらもう思い出せない程度のくだらない話しかしていなくても、なぜか底抜けに楽しくて、どんどん気分が昂揚していくのがわかる。もうろれつも回らないし、筋道立てた話し方もできなくなっているのに、しゃべること自体が愉快で、途中で止められないのだ。
そのとおり、「酔っ払う」というのは、そういうことだったはずではないのか。どうして僕は今の今まで、それを忘れてしまっていたのだろう。
そんなわけで僕は今、事務所の応接室のソファの上で、拷問さながらに眩しい朝の光に、なすすべもなく目をしばたたいている。向かいのソファでは、昨日知り合ったばかりの女が、猫みたいに背中を丸めて、まだ静かな寝息を立てている。女、なのだろうと思う。いや、実はニューハーフなのではないか、といったことが言いたいわけではない。つまり……。
少し、頭を整理しよう。どうしてこんなことになったのか。酔いはもう引いている。「筋道を立てて」最初からのいきさつを思い出してみよう。
2
事の発端は、一風変わったクライアントからの依頼だ。いやむしろ、ごく普通のクライアントからの一風変わった依頼、と言うべきだろうか。いや、クライアント自身も「ごく普通」だったとは言いがたい。
まあ、それはどちらでもかまわない。とにかく、僕が川べりの小汚い雑居ビルの一室を借りて電話番も置かずに一人で営んでいる「柳瀬探偵事務所」に、ある日その男がやってきてこう言ったのだ。
「僕のみきちゃんを探してほしいんだよね」
依頼主は血マメみたいな顔をした五十代の男だったが、短く刈った髪をハリネズミ風にワックスで立て若作りしており、やたらと横柄な態度を取った。ほころびだらけのみすぼらしい安物とは言え、一応ソファセットが置いてある奥の応接室に通そうとしても、スーツのポケットに手を突っ込んだまま、黙って僕を見下ろしているだけだ。
しかたなく、僕はデスクに着席したまま尋ね返した。
「尋ね人ですか?」
「人っていうかさぁ、あんた、こういうの知ってる?」
そう言って彼が差し出したのは、家電製品かなにかのパンフレットらしかった。
そのコピーの背景になっているのは、ネクタイを緩めてあぐらをかいた企業の幹部風の男に、満面の笑みでビールをついでやっている、妙に肉感的なロングヘアーの女(ピンクのOL風制服着用)の写真だ。
日本機械工学サービスセンターという会社名は、僕も聞いたことがあった。もともとは工業用ロボットを作っていた会社だが、最近エンドユーザー向け市場にも参入し、たしか去年の夏に「シャクシャク-25」とかいうロボットを売り出してけっこう話題になったのだ。
女優の尺芙美子をリアルに象った等身大のロボットが、ビール瓶もしくは缶を傾けて「お酌」をしながら、「ハイ、今日もお疲れ様」などと本人の声で言ってくれる、という代物だ。尺芙美子は、僕も嫌いではない。しかし、独り者の男が座卓でそんなものを侍らせてビールをついでもらっている図というのは、痛ましさを通り越して不気味ですらある。だから僕は、パンフレットを取り寄せてみようとさえ思わなかったが、一体三十万円もするそれがそこそこ売れたというから驚きだ。
「魅機MOUS-27」は尺芙美子とは似ても似つかない別人の顔だが、機能的にはどうやらその「シャクシャク-25」をバージョンアップさせたものと見える。「プリセットされた会話パターンは50種類!お好みでカスタマイズも可能!」「言語・行動学習機能をフル活用すれば、あなた色に染まった魅機MOUS-27≠ェ!」 。そのあたりが「本製品の特徴」らしい。
「シリコン+高級樹脂の使用でホンモノそっくりな肌触りを実現!」ともある。そこだけ見ると、まるでダッチワイフの広告だ。
「八十五万円って……へえ、こんなの自腹切って買う物好きな人がいるんですかね」
僕は率直な感想を述べて、パンフレットを男に返した。
「で、これが何か?」
「その物好きが俺なんだけど。自腹切って買ったんだよ、それを」
僕は思わず、ほぞを噛んだ。不注意にもほどがある。こんなことだから、僕の事務所には依頼が来ないのだ。
「あんたはみきちゃんのよさを知らねぇからそんなこと言うんだよ。みきちゃんはいい子なんだよ。十九や二十歳のションベンくせぇ小娘とは違うんだよ。女ってのは三十路に近づいたぐらいが一番いいんだよ。酸いも甘いもかみ分けてるからよう!」
男は急に柄の悪いしゃべり方になって、のけぞるような妙なポーズを取りながら熱弁をふるいはじめた。
「あの、ちょっと待ってください。まさかあなたがお探しになっているみきちゃん≠ニいうのは、このロボット……?」
「ロボットって言うな! みきちゃんをロボットなんて無粋な言葉で呼ぶのはみきちゃんに対する冒涜だってんだよ!」
そう叫びながら男がなおも後方にのけぞるので、今に仰向けに転倒しやしないかと気が気ではない。しかし彼はその都度、きわどいところで持ち直して、バネでも仕込んであるみたいに上体を元の位置に戻すのだった。
僕はひとまず、彼を落ち着かせるために強引に応接室のソファに座らせ、自分も腰を据えて詳しい話を聞くことにした。
なにしろ、ひさびさの来客だ。半月ほど前、『今週、女房が不倫をします』とかいう本を読んで妄想に駆られた中年男から、どう考えてもそんな心配のない器量の妻について浮気調査の依頼を受け、一週間でカタをつけたのが最後だった。依頼をえり好みできる立場にはなかったのだ。
3
お酌用ロボットを「みきちゃん」と呼んで憚らないこの男、冨井俊松は、驚いたことに一アパレルメーカーの経営者だった。(株)冨井インターナショナルという社名にこそ聞き覚えはなかったものの、自社ブランドだというTommy Yam-Yam≠フロゴは、このところしょっちゅうデパートなどで目にしている。
知るかぎり、キャリア風のい女性向けスーツばかり出しているブランドだ。
社長本人を見て、きっとああいうのが個人的に趣味なのだろう、と直感した。髪型といい、やや露悪的な物腰といい、ことさらに自らの男性性を強調するようなこの手合いは、たいていそうなのだ。その推測を裏づけるかのように、冨井社長は自分の「窮状」を切々と(しかし横柄に)訴えはじめた。
「ウチも最近は業績がよくて、経営も軌道に乗ってきたんで、社員をたくさん採用したんだよ、女ばっか。もちろん、社内では全員、スーツ着用が義務ね。ただしパンツスーツはアウト。スカートね。これ基本。やっぱ基本でしょう、スカートでスーツは!」
「はぁ……」
「ところがさぁ、最近の若ぇ女ってさぁ、キャリア意識? が高くて? 宴会でもお酌ひとつしてくんねぇんだよ。社長の俺が隣にいるのにだぜ?」
「しかし社長、今はこういう時代ですし、もし女性にお酌してもらいたいなら、いっそキャバクラとかに行かれた方が……」
「ダメなの、それじゃ! 意味ないの! わかってねぇなぁ、あんた。クロウトじゃ意味ねぇんだよ、だってあいつら、それが仕事でやってんだろ? そんなのありがたくもなんともねぇよ。それにキャバクラなんて、ションベンくせぇガキばっかじゃねぇかよ! トークもロクにできねぇしさぁ!」
冨井社長の言い分を総合すると、お酌をする女性は(1)素人でなければならず、(2)年齢が若すぎても不可、(3)ウィットに富んだ会話を楽しめるだけの頭脳と学力が必要、さらに言えば(4)スーツ姿(ただしスカート限定)がより好ましい、ということになるらしい。
「まあ、わからなくもないですが、まさかそれが、その……みきちゃん≠購入された動機だったわけじゃあないですよね?」
「いや、そうだよ? 悪いかよ」
そう言って冨井社長は、スーツの背に両肘をかけて傲然と顎を引いた。
「いえ、別に悪いとは申しません。ただそれでは、確実に条件の一部が満たされませんよね? ウィットに富んだ会話なんかできるんですか? だって相手はロボ……」
「おい、いいかあんた、もう一度でもその言葉を口にしてみろ」
社長は、もともと血マメみたいな色の顔をさらにどす黒く変色させて(たぶんそれが彼にとっての「紅潮」なのだろう)、僕に向かって凄みをきかせた。
「みきちゃんはそんじょそこらのつまらねぇ女なんかより、よっぽど賢いいい子なんだよ。話だってちゃんとできる。頭がいいんだ。覚えてくんだよ、新しいことをどんどん。……それがあだになったんだ。賢くなりすぎちまったんだよ、あの子は」
これぞ理想的な晩酌の御供、とばかり「魅機MOUS-27」を買ったはいいものの、さすがに妻や年頃の娘が同居している自宅に置いておくわけにはいかず、さりとて会社はもっとまずい。そこで冨井社長は、やむなくそのためだけにアパートを借りて、愛人を囲うようにそこにみきちゃん≠「住まわせて」いたそうだ。仕事を終えて家族のもとに戻る前にアパートに立ち寄り、みきちゃん≠ゥらのお酌を受けて「癒される」のが、毎日のささやかな楽しみだったという。
しかしある晩、会社帰りにアパートに寄ってみたら、みきちゃん≠ヘ姿を消していた。外からかけておいたはずの鍵も、かかっていなかった。みきちゃん℃ゥ身が自ら鍵を開けて外に出ていったのだと考えるよりほかにない。
「盗難だったってことは……?」
「それを言うなら誘拐≠セろう」
僕が失言を詫びると、冨井社長はどっちみち「その線」はありえないと断言しながら、懐から一枚の紙切れを取り出した。
トミーへ
ソトのせかいをみてきます。夜露死苦! MiKi |
妙に直線的な、しかし男の手になるものとは思えない字体で、そう書いてある。
「置手紙、ですか? まさか……これを書いたのもみきちゃん≠セとでも?」
「かなとローマ字はもともと書ける。漢字は俺が教えた」
漢字というのは、この「夜露死苦」のことだろうか。
「みきちゃん、前から言ってたんだよ、外の世界≠見てみたいって。危険がいっぱいだからアパートから出ちゃいけないよってあれほど言ったのに」
そう言いながら社長は、うなだれて目を潤ませている。
正直なところ、僕には信じられなかった。たしかに「魅機MOUS-27」のパンフレットには、「言語・行動学習能力」についての説明があるが、その点を考慮に入れてもなお、このロボットが、「お酌」のための高級玩具以上のなにかであるとはとても思えない。それが人間と自由に「会話を楽し」んだり、置手紙を残して勝手に旅に出る? ありえない。
「でもあの子は、自分の意志で出ていったんだよ。俺はその意志を尊重してあげたかった。外の世界を見聞して、いろんな経験を積んで自分に磨きをかけたいと思うあの子の意志をね。あの子はいつか一まわりも二まわりも大きくなって、必ず俺のところに戻ってきてくれる、そう信じてね……」
しんみりしながらそう語る冨井社長の前で、ついつられて神妙な顔でうなずき返してしまっている自分に気づき、僕は慌ててかぶりを振った。この孤独な経営者が、高価な玩具に自分の幻想を投影するのは、本人の勝手だ。しかし、僕までそれにつきあう必要はない、探偵としてはただ、求められたミッションを果たすだけでいい。
僕は口調を改めて話を進めた。
「まあ、とにかく。 みきちゃん≠ェいなくなった=Aそうですね? それは具体的にはいつのことなんですか?」
「三ヶ月くらい前だよ」
社長はあたりまえのような顔で答えた。
「けっこう前ですね。その間、探し出そうとはお思いにならなかったんですか?」
「だから、今言ったばかりじゃねぇか、俺はあの子の意志を尊重してだな……」
「いや、それはわかりましたが、なぜ今になって急に探そうとしておられるのかなと」
ちょっと前まで力なくうなだれていた社長が、なぜか再び活力を得たかのように上体を起こし、居丈高な態度に戻って胸をそびやかした。
「事情が変わったんだよ」
4
冨井社長が語った「事情」というのはこうだ。
三日前、社長は見知らぬ者からの訪問を受けた。社長はアポなしの訪問は原則として受けつけない主義だが、あまりに執拗なので根負けしたのだという。聞けば訪問者は、日本機械工学サービスセンターの職員だというから、社長は慌てて人払いして、社長室のドアを閉めた。みきちゃん≠フことが女子社員たちに知れたら、威信に関わる。
「みきちゃんを回収させろって言うんだよ、あいつら」
センターが「シャクシャク-25」の後継機種としての「魅機MOUS-27」にかける期待は、小さなものではなかった。プログラムとして組み込むキャラクターの設定年齢をあえて二十七歳と高めにしたのは冒険だったが、廉価なものではないだけに、顧客として見込めるのは企業経営者など比較的高い年齢層だ。「妙齢ながらちょっとおっちょこちょい」という、一定年齢以上の男心をくすぐる性格設定は、必ずや顧客満足に結びつくであろうという確信があった。
パイロット版として出荷した三十体のうち、冨井社長のみきちゃん≠含む二十七体が、いいペースで売れた。方向性は間違っていないとの自信を得たセンターは、外部委託による「魅機MOUS-27」の量産態勢を整え、この夏のビール商戦に合わせて広告を全国展開する予定でいた。
ところが、まるでそのタイミングを見計らったかのように、某企業からエージェントを通じて「待った」がかかった。アメリカの総合エンターテインメント企業・D社だ。
「これがその通告書のコピーなんだそうだけどさ、まったくアメリカ人ってのはなんでもかんでも係争のネタにしやがる。俺のみきちゃんがあのネズミとなんの関係があるってんだよ!」
エージェントの言い分は、以下のとおり。このお酌ロボットの商標、つまり「魅機MOUS-27」は、D社が権利を有するメインキャラクターの名称と「著しく相似」しており、「該企業(つまりD社)の対外的イメージおよび利益に莫大かつ深刻な損害を及ぼす危険性」があるため、「30日を過ぎない期間中に出荷後の該製品を全数回収し、廃棄しない場合は、然るべき法的手段に訴える所存」であると。
センターはわずか十数名で切り盛りする吹けば飛ぶような零細企業、圧倒的な資本力を持つD社の圧力にすっかり泡を食ってしまい、すでに出荷してしまった「魅機MOUS-27」を血眼になって自主回収しはじめたのである。
すでに何度か「商品回収へのご協力」を要請する封書を届けたはずだとセンター側は主張していたが、社長はそれを見た記憶がなかった。おそらく、日々山のように届くCD全集やらDVD全集やらの購入を促すダイレクトメールと一緒に、開封もせずシュレッダー行きにしてしまっていたのだろう。返答がないのに業を煮やしたセンターが、直接職員を派遣したというわけだ。
「返金した上で相応の補償金も支払うって言うんだけどさ、肝腎のみきちゃんの行方が知れないんじゃどうしようもねえだろ? 第一仮に居場所がわかってたとしたって、むざむざ奴らの手に大事なみきちゃんを引き渡せるかってんだよ」
「それはそうでしょうが、社長に居場所がおわかりにならないんだったら、センターの人たちにもわからないのでは?」
「いや、あいつら、だったら自分たちで捜すって息巻いてやがるんだよ。で、万が一奴らにつかまってみろ、どうなると思う? あいつら、みきちゃん≠バラバラにするつもりなんだぜ? 殺人だろ、これは!」
「それはどうでしょうか。法的にはあくまで、せいぜい器物損……」
冨井社長が、むしろ僕をバラバラに切り刻まんばかりの危機迫る形相で睨んだ。
「あ、いえ、はい、まあ、いわば殺人≠ノ準じることですよね。しかしなぜ?」
センターはD社から、正確にはD社が雇ったエージェントから、「魅機MOUS-27」を回収した証拠として、出荷したすべての起動ユニットの提出を要求されているという。そこに刻印された「魅機MOUS-27」の名称とシリアルNoをすべて確認することをもって、回収作業が完了したと見なされるわけだ。
起動ユニットは(人間だったら)心臓のあるあたりに据えつけられた携帯電話大のパーツだが、このロボットのまさに心臓部分と言ってよく、「学習」によってカスタマイズされた情報、つまり個々の「魅機MOUS-27」を特徴づけるデータ群は、すべてここに蓄積される。
それを「提出」するということは企業秘密を漏洩するようなものだから、当然、内部は再生不能な状態にまで破壊してからエージェントに引き渡すことになる。みきちゃん≠ェどれだけ「学習」を積んでいたとしても、その「人格」は永遠に失われるわけだ。
冨井社長は、僕には「みきちゃんはロボットなんかじゃない」とか言っておきながら、センターの人間にはそんな技術的なことまでしつこく問いただし、詳しく聞き出していたらしい。
「でも、そんなの、シリアルNoだけ揃えて、ダミーを作って提出してしまえば済むことなんじゃないでしょうか」
僕がその疑問を口にすると、社長は眉を「へ」の字にして口元を歪めた。
「それは俺もやつらに言ったんだけどさ、聞かねぇんだよ。それじゃダメなんだってさ。よっぽど怖ぇんだろうな、D社が」
とにかく、そうとなったらなんとしてもセンターより先に自分がみきちゃん≠確保しなければならない。そう見切った冨井社長は、「分単位で動く激務の中をかいくぐって」お忍びでこの探偵事務所までやってきたというわけだ。
「そんなわけで、ひとつ頼むぜ。俺はこのとおり、忙しくて身動き取れねぇんだよ。今日だってやっと暇見つけてここへ来たんだよ。俺は超多忙なビジネスマンなんだよ。俺がいなきゃ事業は立ち行かねぇなんだよ。俺が全部を仕切ってんだよ」
なんという恩着せがましい言いぐさなのか。まるで、忙しい中僕のためにわざわざ無理して来てやったのだとでも言わんばかりだ。僕はなかば呆れて、社長の赤黒い顔を見上げずにはいられなかった。
しかし、探偵事務所経営者としての僕が、背に腹は代えられない状況にあるのもまた事実だ。冨井社長はとりあえずの活動費として十万円をキャッシュで手渡してくれたが、それは早晩、ツケにしてある先月分の事務所の家賃に消える運命にあった。
そんなわけで僕は、「自ら失踪お酌用ロボットを捜す」という外聞が憚られるほどきてれつきわまりない依頼を、受けないわけにいかなくなってしまったのだった。
5
冨井社長が残していった手がかりはただ二つ。
ひとつは、みきちゃん≠フ写真だ。センターのパンフレットを見るかぎり、出荷時点での「魅機MOUS-27」は黒髪のロングヘアなのだが、みきちゃん≠ヘかなり茶色がかったショートだ。社長自身の趣味らしい。
しかもその写真の中でみきちゃん≠ヘ、親指と人差し指で直角を作り、その手を顎の下にあてがうポーズを取っている。プリクラのカメラに向かっているそこらの若い娘となんら変わりがない。これが本当に、お酌用ロボットなのだろうか。
もうひとつは、社長がみきちゃん≠「住まわせて」いたアパートの住所。僕の事務所からそう離れてはいなかったから、そもそも社長は近場の探偵事務所を当たった結果、僕のところに辿り着いたらしい。
以上、手がかり終わり。
あとは「念のため」ということで知らされた、みきちゃん≠フシリアルNoだけだ。こんなものは、「手がかり」にも何にもなりはしない。
「その写真はセンターのやつらにはわざと見せなかったからよ、あんた、有利な立場で捜索を開始できるぜ」
社長はそう言って、何やらとっておきの秘密兵器を出してみせでもしたかのように得意げな顔をしていたが、これが「有利な立場」なら、僕はとっくに稀代の名探偵として赤坂あたりにビルを建てていただろう。
いろいろな意味で気が進まない仕事ではあったが、あまり悠長にもしていられなかった。D社のエージェントが日本機械工学サービスセンターに指定した「証拠品」の提出期日まであと十日、今ごろはセンター側も死にものぐるいでみきちゃん≠捜しているに違いなかったからだ。
僕は二、三日の間、なかばは捜索のための予備調査として、なかばは腰の引ける捜索の仕事を少しでも先延ばしにするための口実として、ネットなどを使って入手できる限りの「魅機MOUS-27」に関する情報を収集して過ごした。
多くは掲示板への個人の書き込みなど、あまりあてにならない断片的な情報だった。中には何を勘違いしたのか、このロボットに「マ×コがついてない」ことについて激しく抗議しているユーザーもいた。
無理もないとも言える。パンフレット等の写真で見るかぎり、この商品は「ロボット」と言うより、ヒューマノイドとかアンドロイドと呼んだ方がふさわしいほど、生々しくリアルな女の姿をしているからだ。
ただ、「魅機MOUS-27」についての言及が一番多く見つかったのは、意外なことに2ちゃんねるのオカルト関連スレッドだった。いずれも又聞きや根拠のない風説に基づくものらしく、信憑性のほどは怪しいものの、それらの発言が共通して主張している点は、一部の製品が「言語・行動学習能力を暴走」させ、製造元のセンターでさえ想定していなかった勝手な行動を取りはじめている、ということだった。
その「勝手な行動」の例として挙げられているのは、おおむね次のような内容だ。(1)お酌をした後、そのグラスを奪い取って自分で飲み干す。(2)手にしていたビール缶を突如放り出し、なにか火急の用件を思い出したかのように「ツッタカター」と走り去る。(3)興が乗ってくるとテーブルに肘をついて身を乗り出し、「……なんスよ」という体育会系の口調で「侠気」について熱く語りはじめる。
何も知らなければ、どうせだれかが仕込んだネタだろうと一笑に付したところだ。ただこれらの記述と、僕が冨井社長から聞いたみきちゃん≠ノついての話は、相互にその信憑性を補足しあう関係にあった。
なにかあるのだ。こういった話そのままではないにしても、このロボットには間違いなく、どこか異常なところがある。なめてかかったら痛い思いをするかもしれない。
そこで僕は手始めに、冨井社長が「癒され」るために日々通っていたというみきちゃん≠フアパートに足を運んでみた。僕の事務所から車で五分の距離。「コーポ・スカイハイパレス」とかいう名前がついているが、築十五年くらいのただの二階建てで、「スカイハイ」どころか、近くの雑居ビルの影になっていて陽さえ射さないような立地だ。
もっとも、この日も朝からなんとなくグズグズしていて、昼過ぎに冨井社長から進捗状況を尋ねる偉そうな電話がかかってきてからようやく腰を上げた次第だったため、着いたときにはもうどっちみち日が傾きはじめていたのだが。
社長がみきちゃん≠「住まわせ」ていたという202号室には、鍵もかかっていなかった。みきちゃん≠ェいつふらりと帰ってきてもいいように、という配慮だろう。無断で上がらせてもらうと、小さなダイニングキッチンのテーブルに、「みきちゃんへ かえってきたら もうどこへもいかず ここにいてね トミー」という書き置きがあった。
奥にもうひとつ、殺風景なフローリングの部屋があって、ホームセンターで間に合わせに買ったような座卓が置いてある。ここで夜な夜な、社長がみきちゃん≠フお酌を受けていたのにちがいない。ふと思いついて冷蔵庫を開けると、缶ビールばかり二ダースほど並んでいる。
これだけあるなら、ひと缶くらいなくなったってわかりはしないだろう。僕は一本だけ拝借してその場で喉を潤しながら、リビングの座卓でみきちゃん≠フついでくれるビールを飲んで鼻の下を伸ばしている冨井社長の姿を想像してみた。
いい身なりをした五十男が思い描くにはあまりにささやかな、そのくせ現実には決してかなわない夢。それをかなえるのがみきちゃん≠セったのだ。なんだか物悲しくなる。
ビールを飲み終えると、僕はアパートを出て、みきちゃん≠ノなったつもりで近隣の路地を歩いてみた。
行方不明者を捜すとき、僕がいつも一番最初にやることだ。その人物がいなくなった場所に立ち、その人物になったつもりで周囲を見回してみる。そして、その一帯をぐるりと歩いてみる。そうすると、思わぬヒントが転がっていたりするものなのだ。
しかし、「みきちゃん≠ノなったつもり」というのは、困難なことこの上ない課題だ。ロボットの心理など、想像もできない。いやそれ以前に、そもそもロボットに「心理」なんてものがあるのだろうか。
僕はいささか途方に暮れながら、近隣の道をあてもなくさまよい歩いた。住宅地と商業地が混ざり合っているようなごみごみした一画だ。気がついたら、駅前に来ていた。
バスのロータリーを前にちょっとした広場があって、五、六人の若者が声を張り上げてなにかの募金活動をしているかたわらで、老人がベンチに腰かけて煙草をくゆらしている。自分もひとまず一服しようと思ってそこに向かった。
「恵まれない子供たちに愛の募金をお願いしまーす!」
「ビザカード、マスターカードもオッケーでーす!」
そんな声が飛び交っている。クレジットカードで募金など聞いたこともないが、最近はそういうものなのかもしれない。その様子を横目に、煙草に火をつけようとした瞬間、僕は思わずライターを取り落としてしまった。
募金活動をしてるグループの一人が、写真に写っているみきちゃん≠ニ瓜二つだったからだ。 |